ゲームのグルーヴ感


昔から考えていたことなのだが、NetHackヴィオラートのアトリエにはかなり
近いゲーム性がある(この2つは私が好きなゲームの双峰)。シヴィライゼーショ
ンもかなり近い。


だが表現が難しいので話題に挙げたことがなかった。


冗長に述べると「潜在的にプレイヤーに許される行動はかなり広範囲にわたる。
しかしその多くは何らかのリソースを必要としており、そのリソースが手元に
あるかどうかには比較的強いランダム性があるので、ある時点で可能な行動は
いくつかに絞られる。従って、リソースのマネージメントを行いながら適切な
行動の選択を重ねる必要がある」ゲーム性、ということになるのだが、これを
脳内では「グルーヴ感」と呼んでいる。また、ゲーム内世界でこのアイディア
にのっとった行動を取ることを「捌く」と呼んでいる。


私と同じようなことを考えている人は少なくないと思うのだが、おそらく私と
同じような理由(一言で説明できない)で俎上にあげられることが少なかったの
ではないかと思う。


ただこの言葉を一度定義してしまえば、ゲーム性について語るときにけっこう
便利だと思うので、仮定義としてここに提案しておきたい(もっと適切なものが
すでにあったらごめんなさい&教えてください)。「グルーヴ感」という用語に
ついては、この構成の結果として生じるものであってこれそのものを指す言葉
としては不適切な気もするのだが、より適切なものが思いつかない。「捌く」
は概念そのものズバリだと思う。

局面の多様化


こうしたゲームがおもしろいのは、この構成によって「局面の多様化」が生じる
からだ。


「グルーヴ感のある」ゲームでは、外部的に与えられる条件(たとえばNetHack
ならダンジョンの部屋やモンスター、ヴィオラートのアトリエなら依頼やイベ
ント)とプレイヤーの持つリソースが直交するため、局面が爆発的に増大するこ
とになる。O(n×m)である。


そのため、プレイヤは、それまでのプレイ経験で獲得した「ミクロレベルで有
効な行動」と推論を組み合わせて、「マクロレベルで有効な行動」に仕上げる
必要がある。それは毎回毎回「前回とは違う」条件での判断を求められること
になり、飽きにくさへとつながる。


この「グルーヴ感のあるなし」というのは、突き詰めると量の問題なので、す
でにあるゲームをゼロイチで分類できる類のものではないのだが、このタイプ
のゲーム性の程度を伝えたいときにこの言葉を使えたらいいなあと思う。


この考えでマルチプレイヤーゲーやアクションゲームのゲーム性も結構広い部
分を説明できると思っているのだけど、それはまた気が向いたら。